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こんにちは。2回目の投稿です。
お昼にタイカレーとコーヒーを食べたので、異文化コミュニケーションが胃の中で行われています。要はとてもお腹がグルグルしています。
さて、昨日は金曜ロードショーでディズニーの「美女と野獣」が放送されていた。
あの物語の一番グッとくるシーンはやはりベルと野獣が二人で音楽にのせてダンスをするところであろう。
最初は素直になれず、見た目だけじゃなく心まで惨めだった野獣が、ベルのやさしさと明るさでだんだんと心を開いていく様にジーンとくる。
人は素直で真っすぐな心が何よりも大事なんだと改めて教えてくれる映画だ。
私はどっちかというと、天邪鬼で他人に心を開くのが苦手なタイプだ。
しかも、人や流行りのモノを否定的に見てしまう節がある。
例えば今でいうと、ZOOMの飲み会。
オンライン上で2人でも数人でも一緒にお酒を飲んだり話したりすることができる。
普通に会議とかゼミでZOOMを使うのは賛成だが、飲み会はちょっと、、という次第である。
それはなぜか。
単純に、せっかく一人でいられる時間に、わざわざネットで集まってお酒飲む意味なくない?というのと、数人で話す際に、私が話し始めると周りの人全員が自分の話に注目するため、すんごく緊張しそうという点である。
前者はただ私が一人でいる時間が好きで、なによりも大切にしているからであるが、後者はなんだか人志松本のすべらない話に出てるような感じがしないか?
話し手が被らないようにする、つまり一人の話にみなが耳を傾ける・・・
もう完全にすべらない話やん。
絶対おもろい話せなあかんやつやん、ちゃんと落ちのある。
そんなん緊張してうまく話せんわ絶対。
あと、否定的に見てしまうやつ、チームラボ。
インスタ映えのためだけに行くようなもんだろあんなん。
キラキラの写真撮って何が楽しいねん。チームラボいった写真を載せることが一種のステータスみたいになった時期あったけど、ほんま嫌だったわぁああいう投稿見るの。
、、、だめだ。
絶対他にも出したら止まらなくなる。
他人を否定するということは、つまりは自分のことも否定してしまうことになるのよね。
これ楽しそうだなと思ったことがあっても、でも誰かにこう思われたら嫌だなと思ってやりたいことができないことがある。
やりたいと思ったことを素直にやればいいのに、誰かという自分に否定されるのを恐れて行動に移せないのだ。
常に誰かを否定批判しているから、自分もそう思われてるのじゃないかと。
そうやってやりたいことをできないまま過ごしていくと、ふと振り返った時に「20年間生きててなんも楽しくねぇ」という状態に陥るのだ。
ネガティブなことが悪いことだとは思っていないが、ポジティブな人が強いと言われるゆえんはやっぱり物事をいかに肯定的に捉えられるかだと思う。
他人を肯定し、他人を認め、他人に寄り添える人は、自分のことをを否定する”誰か”という存在がいない世界で生きることができる。
私はもっと肯定的に見れる練習をしなければならない・・・
肯定と異文化コミュニケーションして、階段の踊り場で一緒にダンスして、肯定に心を開きまくろうと思う。